16時のハードボイルド

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レイモンド・カーヴァー「コンパートメント」感想

レイモンド・カーヴァーの短編集「大聖堂」から「コンパートメント」の感想を。

コンパートメントとは列車内の仕切られたボックス席のことである。

以下あらすじ。

故あって妻子と別れた孤独な中年男である主人公がヨーロッパ旅行をし、そのついでにフランスの大学に留学中の息子に会おうとする。

息子とは喧嘩別れしてもう長いあいだ会ったことがない。彼は和解をするつもりで土産を買って列車に乗り込む。しかし息子の待つストラスブール駅に向かうあいだに、自分がもう息子に全然会いたくないことに彼は気づく。孤独な生活の中で、彼の中から愛というものが消えてしまっていたのだ。彼はもうそれをどこに見つけることもできない。彼が思い出せるのは怒りだけである。そして彼は姿を隠して、そのまま駅をやり過ごしてしまう。
 しかし彼は切り離された列車に取り残されてしまう。息子の土産として買ってきた腕時計も誰かに盗まれてしまう。彼自身の荷物は本来の列車に積まれたままパリに行ってしまった。彼はひとりぼっちで、言葉もわからぬ異国人にかこまれて、いずことも知れぬ遠い場所に運ばれて行く。(訳者「解題」より)

 

ゆるやかに沈んでゆく船で一瞬の安息を得るような話だった。

主人公の男には男性的な所有欲を感じる。

家族を失いかけた時に、反抗してきた息子にひどい言葉をかける。

「俺がお前に命を与えたんだぞ。返してもらったっていいんだからな」

一方で失うことを非常に恐れている。

そして家族を失ったときと同じように時計を失い、取り乱す。

俺がタイトルをつけるならもうなにも失いたくない男だ。

切り離された列車に取り残され、何も失いたくないと思いつつ色々なものを失って行く。

しばらくの間、風景が自分からどんどんこぼれ落ちて抜けていくようにマイヤースには感じられた。

村上春樹は解説で孤絶していると書いていた。

たしかに孤絶はしているが、その孤絶によってどこか安心しているようにも見えた。

もう失うものはないのだから。

あるいはとうの昔に失っていたのだろう。家族を失うよりずっと前にもう。

切り離された列車によって連れていかれる場所は、間違った場所かもしれないが、少なくともこれ以上失うものはない。

なぜ息子は駅に迎えに来ないのだろう?という疑問はのこった。

あるいはきていたのかもしれないが。

しかし、レイモンド・カーヴァーは本当に情景描写が上手い。

ヨーロッパの見知らぬ暗い列車のコンパートメントでの不穏な雰囲気なんて見たこともないのに、映像がリアルに立ち上がる。