Twitter(X)やめた
正確にいうと3日前からやめている。
3日前の夜に、俺はひとりで九州系の居酒屋に行き、手取川を飲みながら馬刺しを食べ、鰹の藁焼きを食べ、さらに何がしかの吟醸酒を流し込み、しこたま酔っ払い、そしてTwitterのアプリをiPhoneから消した。
おれのTwitterアカウントは二つあった。
一つは非公開アカウントで、もう一つが公開アカウントだ。
どちらも観測範囲は微妙に異なっているものの、コミュニティとして使っていたわけではない。もっぱら情報収集と簡単な日記のように使っていた。
Twitterはおもしろい。無限に刺激的なニュースが湧き上がってくる。
電車に乗ればとりあえず開いたし、部屋でくつろいでるときになんとなく開いた。もちろん地震があれば開いたし、事件があれば開いたし、隅田川花火大会の混雑を見たし、そういえば安倍元首相の襲撃事件の一報を見たのもTwitterだった。
みんなが言うほどにおれはイーロンマスクのTwitterは嫌いじゃなかった。
ジャックドーシーのTwitterは、たしかに古き良きインターネットだったが、一つのインフラにすらなってしまった巨大なインターネットメディアを運営するようにはできてなかったんだと思う。やはり、一国の大統領のSNSアカウントを簡単に凍結できてしまうのは、おかしいことなんじゃないかと思っていた。
イーロンマスクのTwitterはそこから歩みを進めようとしていたし、その過程に失敗があろうと、今までのTwitterと違う責任を果たすかたちでアップデートする方向に向かっていると思う。
だから、変わりつつある運営方針に嫌気がさしたとかではない。
ただたんに、毎日流れるニュースやつぶやきを見ていて、なんかこれ見てるの良くないなと思ったのだ。拡散されているネガティブな要素が澱のように自分の中に溜まっていったんだろうと思う。
じゃぁそういうの見ないようにフォローだけ見てればいいじゃんと思うけど、そしたらたいして面白くもない。つまり俺って結局そういう刺激を求めてるってわけで、だったら意味ないじゃん、いいや一回消してみようとなったのだ。
アルコールで痺れた大脳もたまにはいいことをする。
もっと自分のことに集中しよう。
しかしメディアの運営というのは本当に難しいようだ。メディアは大きくなればなるほど、権力を持ってしまう矛盾をはらんでしまう。このあたりのことは、以前に、ニコニコ生放送の政治部門で同様のことが起きつつあったことを川上量生さんが話していた。
もしかしたらまた復活するかもしれないけど、今のところ必要は感じていない。