手段は必ず目的化の方向に進む
高校野球で坊主が伝統化されたのは、実は「戦争」と深い関係があります。
第1回全国高等学校選手権大会(1915)は、第一次世界大戦の真っ最中でした。当時の日本国民は丸刈りが当たり前で、戦時体制下でも毎年開催されていた夏の甲子園では、長らく坊主頭の球児が出場していました。
この印象が今にも根付き、高校野球界全体の「伝統」になっているというわけです。
目的のための手段は必ず形骸化し、いつか手段そのものが目的となる。
なぜか?それは最初にその手段を考えた人がいなくなるからだ。
そのため、なぜその目的のためにその手段が必要かという理解がない人が増える。
手段を守ることは多くの人にとってわかりやすい。
そしていつしか手段そのものが目的となる。
それを防ぐためには、時代に合わせて手段を変化させることを逆に決まりとして入れなければいけない。
しかしそういった運用は後年の責任者にとっては、現状を変えることになるため、労多くして功少ない。
そのため手段の目的化は果たして残り続けることになる。